有名な歌手になり母を楽にさせたい
「母の顔」のほうは、それこそ全身全霊で詞を書きましたよ。本当に僕の気持ちそのままです。4人きょうだいの末っ子だった僕が小学校高学年ころに、父がいなってしまったので、母はひとりで育ててくれた。早朝から母は外に働きに出ていたので、起こしてくれる人もいない。僕は田んぼ沿いに歩いてたった30秒ほどの小学校に、毎日遅刻ギリギリで通っていました。学校の始業ベルが目覚まし時計がわりでしたから。(笑)
きょうだいの中で自分が一番母の近くにいたからか、母を助けたという気持ちも一番強かったのかもしれません。田んぼも手伝ったし、母が帰る前に薪でお風呂をわかして待っていた。母も必死だっただろうけど、僕も必死でしたね。
中学に入ったころにはもう「歌手になる」と決めていました。歌が好きだったのはもちろんですが、とにかく母に楽をさせたい、少しでも休ませたい、という気持ちが僕を歌手へと駆り立てたんです。「母のために有名な歌手として成功する」というのは中学生の僕の譲れない夢、悲願だったのです。
僕は絵を描くのも好きで、今でも作品が残っていますが、中学校のときに描いた抽象画がもうめちゃくちゃ暗いんです。色彩も暗いし、バックに赤い炎がぼーっとあがっていて、当時の僕のなんともいえない気持ちを表しているのだと思います。早く都会に出ていきたい、早く大人になりたい、こんな田舎で何もできずにいるのはつらいと感じていたんでしょうね。