元気ならそれでいいと言いつつ本音は…

学校では部活が必須でなくなり、ほとんどの公園ではボールを使えなくなり、授業以外で何かを体験をさせるには習い事をさせるほかない。和太鼓、空手、卓球を習いたいと言われて習わせてみたものの、いずれも数回で飽きてしまった彼ら。結局今は何もしていない。勉強だってろくにしていないので成績も推して知るべしだ。

周りの子が塾に行っていたりプログラミングを習っていたりすると聞くと「ふうん?」なんて返事しながらも、うちはこんなに毎日無駄な時間を費やしてしまっていいんだろうか? 無理にでも何かを習わせないとダメなんじゃ? と不安になる。

家でゴロゴロしていたいと考えるような子になったのは私の育て方のせい? 小さい頃から簡単にスマホを見せすぎた? 他の子に追いつくにはもう手遅れでは? 将来この子たちは何もできない大人になってしまうのでは?

うちの子と比べて、よその子が何を習っているのか、学校の成績はどうなのか、どこへ進学するのか、将来どんな大人になるのか、気になってしょうがない。

子どもの人生がそのまま自分の子育ての評価につながっているように感じる。

「彼らの人生は彼らのもの」「元気に生きていてくれたらそれだけでいい」と言いながら、できれば、少しでも良い学校へ行ってたくさんの可能性と夢と選択肢を持って大人になってほしいとも思う。

そして心の底では「友達のあの子よりも親戚のあの子よりも……」と望んでしまっているのが本音だ。

この子がいれば幸せ、と思う瞬間はもちろんあるけれど…
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