子供達と夫が遺した家は、私が守る。38歳で迎えた、人生のターニングポイント
幸せな日常すべてを一変させてしまった出来事は、1985年の8月12日、突然、やってきました。日航機の墜落事故により最愛の夫を失い、小学生の娘2人と3人家族になってしまったのは、私が38歳のときでした。
「2人の娘だけはきちんと育てなければ」。あの頃の私を支えていたのは、その思いだけだったように思います。私も娘たちも精神的に不安定になってしまい、私自身は主人と一緒に亡くなったマネージャーの奥さまや女優の黒柳徹子さんなど、いろいろな方と電話で話すことで、何とか心の平衡を保っていたという感じです。
仕事復帰を決めたのは、事故から半年後。それまで家計は主人に任せきりでしたが、初めて自分が管理する立場になって、娘達を育てるためにも、主人の遺してくれた家を守るためにも、自分が「働こう」と決めたのです。
お洒落どころの日々ではありませんでしたが、テレビや雑誌の仕事や講演など、人前に出る時間が増えていけば、自然と「きれいにしてなきゃ」という意識が強くなっていくものです。意識して、あえて明るい色のお洋服を着るようにしていました。