つくづく「チーム」でやるものなんだな
そういば長男・翔大が、高校1年から野球留学をして大阪に一人で暮らしていた時も、確かに心配しすぎてカリカリカリとわたしの寿命は削られていったものだ。
今でさえ、大阪のどの場所、どの駅にも、去年まで翔大を連れて飛び込んだ、病院や整体院などの記憶がまだ新しい。いい時もしんどい時も、3年分のいろんな思いが蘇ってきて、ちぃとまだ胸が苦しくなった。
そんな大阪のとある駅近くで、私たち保護者も1週間東京から入れ替わりながら選手達を見守ったのである。
選手達のホテルでの合宿生活も、1週間ともなればいろぉ…んなことが起きる。叱られる。ビックリする!心配する。そして、親はひたすら無事とチームの勝利を祈って声援を送る毎日。
一勝するたびに一日一日宿を延泊、結果1週間の滞在となったのだが、その間親達は選手達の合宿生活を付かず離れずサポートするのだ。昼食や間食の手配、洗濯の誘導、差し入れや大量の荷物の管理など。
こういう時父母達がとても快く協力し合って雰囲気がいい合宿が続いていくと、なぜか選手達にもその雰囲気が伝わるようで、チームが「負ける気がしない」ような空気になっていくのは…なんでだろう?
いや本当に言葉で説明ができないんだが。
逆にどんなにチームが頑張っていても、なぁんだか空気が澱んでいて、人の思いが噛み合わない、「負ける気しかしない」ような時もある。
ええい!と振り払いたい何かのせいで空気が澱んでいるのに、なぜか誰もどうしても振り払うことができない。
野球ってつくづく「チーム」でやるものなんだな、と気付かされる。
誰か一人、二人の力でどうにかなるものでは、絶対にないものなんだと。
まるでサポートする親も野球をやっているように、誰かが常に誰かをカバーし合う仲間に恵まれた1週間の合宿で、私も心からそう感じたのだった。
