御徒・大田正智の嫡男として
南畝は、勘定所に勤務した役人であった一方で、文人として名声を博しました。
狂歌、狂詩、洒落本、漢詩文などを得意とし、狂歌の世界では、唐衣橘洲・朱楽菅江と共に“狂歌三大家”と言われます。
生誕は江戸の牛込中御徒町(現在の東京都新宿区中町)で、御徒(おかち。御徒士とも)の大田正智の嫡男として生まれました。
なお、御徒とは、将軍が外出するときに行列の先を歩いて先導する武士を指します。そして“歩いて”ということはつまり“馬に乗ることを許されていない”という意味でもあり、下級の武士であることを意味します。
アメ横で有名な御徒町。実はこの地に御徒が多く住んだところから、その地名になっています。