スピリチュアリストとして、さまざまな角度から読者のお悩みに答え、生きる指針を示してくれる江原啓之さん。現在は熱海に在住し、ていねいな暮らしをしながら日々「生きる上で大切なこと」を発信し続けています。『婦人公論』での連載「〈幸せぐせ〉を身に着けよう」。第42回は「不仲だった母の亡き後、遺品整理中に日記を発見した」です。
Q 不仲だった母の亡き後、遺品整理中に日記を発見した
A)読んでみる
B)読まずに処分する
あなたが母の立場なら
親が亡くなって葬儀も終わり、やれやれと思っても家族には遺品整理という大仕事が残ります。思い出の品と言えば聞こえはいいですが、それが不仲だった親の物となれば、遺品に対する気持ちも複雑かもしれません。そんな遺品整理の最中に日記を発見したというのが今回のテーマ。「不仲だった母だけれど、本当はどんな気持ちでいたのだろう」と思うと、読んでみたくなるのが人情というものでしょう。Aはその好奇心に従って「読んでみる」というパターン。しかし一方で、「今さら母の気持ちを知っても、苦しいだけではないか。だってもう母はこの世におらず、問いただすことはできないのだから」という思いもあるはず。だから「読まずに処分する」というのがBです。
どちらが幸せぐせなのかは、たましいの視点で考えるとわかります。つまり「あなたが亡くなった母の立場だったらどう思うか」ということ。あなたは自分が書いた日記を、誰かに読まれたいですか? それとも読まれたくないですか?