われながら当時から人よりも抜き出ていると自負するのは、海外音楽の知識量です。輸入盤を聴きまくり、海外のミュージシャン同士の相性まで把握していた16歳の頃から、海外でレコーディングをしたいと周囲に話していました。そして17歳でそれが叶ったときは嬉しかった。
何をやっても「初めて」や「最年少」がついて回りましたが、ワクワクしながら新しい経験をたくさんさせていただきました。
僕が初めてお芝居の舞台に立ったのは、83年に帝国劇場で上演された『ロミオとジュリエット』。その後87年にミュージカル『レ・ミゼラブル』が日本で初演されるのですが、このときマリウス役をいただき、結果的に91年まで5年間、演じることになりました。
実は、「ロミジュリ」の演出家マイケル・ボグダノフが、「レミゼ」を演出するジョン・ケアードに僕のことを話してくれたらしく、「オーディションを受けてみませんか?」という連絡をいただいたんです。
僕は何も知らないまま、テーマ曲の譜面だけを持ってオーディション会場に行きました。ところがもう1曲、自由曲を歌わなければならなかった。前の人が歌った曲の楽譜が譜面台に残っていたので、やむなくそれを歌ったんです。女性のキーでしたがそのまま(笑)。運良く合格できました。
「レミゼ」は日本初演だったので、緊張の連続。そのうえ、めちゃくちゃ体力を消耗する舞台だった。でも出演者同士で切磋琢磨するなか、発声法を徹底的に考えたり、教えていただいたり。苦しかったけれども、とても学びのある経験ができました。
嬉しかったのは、一昨年、ミュージカル俳優の中川晃教くんに会ったとき、彼が「五郎さんがやっていらした発声法を、僕たちは受け継いでいるんです」と言ってくれたこと。僕がマリウスを演じたのは三十数年前。なのに今も引き続がれているんだ、と感激してしまいました。
デビューしてから、音楽だけでなく映画やドラマ、舞台ばかりかテレビのバラエティもやらせていただきました。「ハナ肇とクレージーキャッツ」にしても「ザ・ドリフターズ」にしてもあの時代の先輩方はすごかった。楽器の演奏も歌も一流。
16歳のときハナ肇さんから、「泣いている人を笑顔にしたり、ケンカしている人を止めたりできるのが、エンターテイナーなんだよ」と教わりました。笑われるのではなく、「笑わせる」。そためには何よりも間合いが大切で、タイミングは一瞬しかない。「そうか、コントは音楽なんだ」と、気づいたことが、今の僕の糧になっています。