うめみやたつお(左) 1938年旧満州・ハルビン生まれ。大学在学中に銀座でスカウトされ、58年、東映ニューフェイス5期生に合格。俳優として活躍する。代表作に映画「不良番長」シリーズ「仁義なき戦い」シリーズなど(写真はアンナさん提供)

 

冷蔵庫にお節料理の準備が

死の直後は、「ほんとに死んじゃったんだ」と思ってボーッとしていましたが、どうやって知ったのか、8時にはテレビ局の方から、「お父様、亡くなられましたよね?」と電話があり、10分後には速報が流れました。そこからは携帯電話が鳴りっぱなしで、お悔やみの電話やメールの対応に追われ……。

14日に葬儀を行うと、生前に父が親しくしていた100人ほどの方が参列してくださいました。棺には食べものをたくさん入れてあげたんです。父がこだわっていたお米や調味料、お気に入りのスーパー「紀ノ国屋」の袋、それからハイチュウも。父はグルメでしたが、コンビニで売っているお菓子も大好きでした。

逆に大の苦手だったのがお線香。故人のたましいを成仏させてあげるためのものだからと助言してくださる方もいましたが、本人が嫌いだと言っていたので、お線香はあげないことにしたのです。

葬儀のあとに待ち受けていたのは書類地獄でした。わが家の場合、不動産や預金通帳などすべてが父の名義になっていたので、手続きは大量にあります。母は憔悴していて頼りにならないので、一人で役所や銀行を飛び回りました。

でも今にして思えば、忙しさに救われていたんだと思います。何もすることがなかったら、ただ泣き暮らしていたことでしょう。よく一緒に行った近所のコンビニ、父が日がな一日腰かけていたソファ、意気揚々と料理を作っていたキッチン……。どこへ行っても、何を見ても在りし日の父を思い出すのです。なかでも冷蔵庫を開けるのが切なかった。

父は、自分の生い先は長くないと覚悟していたと思います。でも年内に死ぬとまでは予期していなかった。なぜなら例年通り、お正月料理の準備をしていたから。冷蔵庫のなかにはおせち料理に使う食材や調味料が用意されていて、冷蔵庫の扉にはメニューを書いたメモが残されていました。もう一度だけ、家族で父のおせち料理を囲んで元旦を過ごしたかった。それが残念でなりません。