2019年1月、腎盂・尿管がんの手術後に親子で撮影(写真提供:アンナさん)

神様みたいに寛大な人

今、四十九日が過ぎて、私は日常を取り戻しつつあります。「なのに」なのか、「だから」なのかわかりませんが、メイクをしているときや運転をしているときに、不意に父が恋しくなって涙がを伝うことも。

父は家族第一主義の人でした。私の小中学生時代は4月に配布される年間行事表を待ちかまえていて、まず学校行事を手帳に書き込み、その日を避けて仕事を入れていたのです。運動会のときは、私の友達のご家族に配るために、必ずおにぎりを100個握ってくれました。

高校時代には、友達と遊びに行った私が帰宅するのを、玄関に敷いたお布団のなかで待っていたり、初めてのデートを車のなかから双眼鏡で監視したりと、過干渉ぶりがクレイジーだったりもしたんですけどね。(笑)

私は恋愛、そして結婚をしたときも、父に心配をかけてきました。自分に男性を見る目がないのは認めますが(笑)、「あいつは生理的に気に入らない」などと頭ごなしに反対する父も困りものだったんです。でも百々果が生まれると、父はすべてを水に流し、私に注いできた無償の愛を、今度は孫娘へと向けてくれました。

そんな父を、私は神様みたいに寛大な人だなと思っています。私はきっとこの先、父を超える愛を与えてくれる人に、出会えないと思う。

とはいえ、父の知らない私もいるんですよ。父は、母と私のためになんでも身の回りのことをしてくれたので、私のことは何もできないヤツだと、今も心配しているかもしれません。でも、父を看取ったいま、私は胸を張って「私は大丈夫だから、パパが思うほど弱虫ではないから」と伝えたいです。

これからは私が母と娘を支えていかなくちゃいけない。私にはそれができるから、もう心配しなくていいよって。そうは言っても、心配性の父のことですから、天国からしっかり私たちを監視しているかもしれませんが。(笑)