「パパが望んでいた通りになったね、と静かな気持ちで父の死を受け止めることができたのです」
2019年12月12日、俳優の梅宮辰夫さんが慢性腎不全で亡くなりました。享年81。晩年は病気がちで、肺がん、尿管がんなど、6度のがん手術を受けた辰夫さん。昭和の大スターの最期を、娘のアンナさんが語りました。(構成=丸山あかね 撮影=本社写真部)

3日前に喧嘩したばかりで……

私が最後に父に会ったのは、亡くなる1ヵ月前でした。私と娘の百々果(ももか)が、「明後日から韓国に行ってくるね」と父に報告しに行ったときのことです。旅の目的は百々果のバレーボールの試合だったので、「頑張って来いよ」と笑顔で見送ってくれました。

両親は2年前に渋谷区の家を手放し、それまで別荘として使っていた神奈川県・真鶴の家へ引っ越していたのですが、都内にも家があって、行ったり来たりしていました。その日は、私と娘の暮らす家にほど近い、都内の家に父がいた日でした。

韓国から帰ったあとは、毎日電話で話していたんです。亡くなる3日前には、他愛のないことから言い合いになりました。私は「パパはわがままなんだから」と思いながらも、喧嘩できるくらい元気なんだと、どこかホッとしていたのに……。

12月12日、朝の5時頃でした。百々果が私の部屋に飛び込んできて「じっじが死んだ」と。そのときに限って、私は携帯電話を消音モードにしていて母からの電話に気づけず、娘から伝え聞くことになったのです。

「えっ!」と飛び起きた私は、気が動転していたのでしょう。パジャマとして着ていたジャージ姿のまま、歯も磨かずに、なぜか4匹の犬たちを娘と手分けして抱きかかえ、父が救急車で運び込まれた小田原の病院へ車を走らせました。

病院に到着したのは7時頃。病室では蘇生措置が行われていました。心臓マッサージによって肋骨が折れているとのことでしたが、家族の同意がないと打ち切ることができないと知り、「もう逝かせてあげてください」と伝えました。「7時40分、ご臨終です」という担当医の声を受けて、父に「私たちが来るのを待っていてくれたんだね」と声をかけました。でも、父が実際に亡くなったのは12日の未明だったのです。

真鶴の家は階段の上り下りが大変なので、父はリビングで寝ていました。母によれば、夜中の12時に様子を見に行ったときには異変はなかったのに、4時に再び見に行くと動かなくなっていた、と。死因は腎不全。父が大好きだった真鶴の家で死ねてよかったです。医師から「苦しむことなく、眠ったまま逝かれたのでしょう」と聞いたときは安心しました。パパが望んでいた通りになったね、と静かな気持ちで父の死を受け止めることができたのです。