一通の手紙
このスルメの話を、テレビで話したことがある。絵本画家のいわさきちひろさんを取り上げた番組で、ちひろさんが、戦争中、何も知らずに満州へスケッチ旅行をしたことや、彼女のお母さんが、満州へ開拓に行った男の人たちに日本から花嫁を送る仕事をしていて、その人たちの子どもの多くが中国残留孤児になったことが、戦後どれだけ、ちひろさんを苦しめたかわからない、という話になった時、私は自分のスルメの体験を喋ったのだ。
戦争当時、自分が何もわかっていなかったことは、何の言い訳にもならなくて、苦しい思いをする。小学生だった私でもそうなのだから、すでに大人だったちひろさんは、もっと自分を責めただろう。だからこそ、ちひろさんは、「二度と、こんなかわいい子どもたちを泣かさないで」という気持ちを込めて、あんなにたくさんの、かわいい子どもの絵を描いたに違いない。私はそんなことも喋った。
その番組が放送されると、私は、知らない男性から一通の手紙を受け取った。
「私は若くして出征し、戦場では命がけで戦ってきました。多くの戦友が死にました。私は運よく帰って来ることができましたが、結局、私たちを戦場に送った大人たちが誰一人、責任を取ってくれないことに苦しんできました。そのことに、ずっと怒って、ずっと恨みに思って、これまで生きてきたのです。
しかし、今日、あなたのスルメの話を聞いて、あなたのように、あのころの気持ちを忘れていない人がいることを知りました。あの戦争で、小さな子どもまで含めて、誰もが傷ついたのだと知りました。その時、私は、ああ、もういいじゃないか、と思えたのです。初めて、あのころの大人たちを許そう、という気持ちになれたのです。ありがとうございました。長かった歳月ですが、今日、私は解放されました。本当にありがとう」
かつて兵隊さんだった、この方の手紙を読んで、私こそ、悔やんできた長い歳月から、少しだけ解放された気がした。戦争はどんな年齢の人間でも、どんな立場の人間でも、すべて傷つけるのだと、あらためて思った。
※本稿は、『トットあした』(新潮社)の一部を再編集したものです。
『トットあした』(著:黒柳徹子/新潮社)
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