守られなくてもいい約束

次に伯父と伯母夫婦が来た時、私はそれとなく観察して、手ぶらのような気がしたが、さすがに私からは言えない。

すると、伯母は、

「あら、おみやげ忘れちゃったわ、ごめんなさい。いま、何か欲しいものある?」

と、やさしく聞いてくれた。私は、がっかりしていることが伝わらないように努力しながら、また、「ビーズの詰め合わせ!」と答えた。伯母は、「次に来る時に、持ってくるわ!」と言った。

そんなことが、何度か繰り返されるうちに、いよいよ戦争が激しくなって、ビーズどころではなくなってしまった。「ブッシブソク」の時代がやって来たのだ。

あれから、アッという間の気がするけど、もう80年もたった。ずいぶん前に、伯父も伯母も、いなくなってしまった。

でも、ある日、突然、ビーズを詰め合わせた箱が、私のもとへ届くのではないか、と、今でもふと思うことがある。

本当に、おみやげにもらっていたら、そんな会話をしたことは、とっくに忘れていたに違いないし、伯母の美しいおもかげも、ひょっとしたら、記憶から薄れていたかもしれない。ビーズを詰め合わせた箱があんなに欲しかったことだって、忘れたかもしれないし、その箱が突然、届くかも、なんて夢想することも、もちろんないだろう。守られなくてもいい約束だって、たまには、あるのだ。

 

※本稿は、『トットあした』(新潮社)の一部を再編集したものです。

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