小説にとってリアリティは命綱に等しいもの

――本作は「小説」ですが、実在の人物と架空の人物が登場します。その意図を教えてください。また、サイドストーリーを置いた理由は?

背景で実際の歴史が流れ、前景で実在の人物と架空の人物が入り乱れて活躍するという、得意の手法です。歴史小説は登場人物の行動が制約されてしまうので、もっとダイナミックに動かしたいという衝動に駆られます。そのために架空の人物を使うのですが、それによって予想もつかないような展開も可能になります。

また、こうした長い物語は、メインの物語だけをぐいぐい描いていくと読者も疲れます。そのために適度にサイドストーリーを盛り込むことで、読者を飽きさせないようにするという狙いがあります。中には、サイドストーリーの方を愛してくれる読者の方もいます。それはそれで結構なことです。

『鋼鉄の城塞 ヤマトブジシンスイス』書影
『鋼鉄の城塞 ヤマトブジシンスイス』(著:伊東潤/幻冬舎)

――主人公とヒロインの恋愛の逸話は何か着想の元があったのでしょうか?

実は不思議なことなのですが、14歳の時、「呉を舞台にした造船士官と病気の女性との恋愛」というストーリーが夢の中で浮かびました。それを生かそうとしたわけではありませんが、いつの間にか、50年前に夢で見たイメージに近いものになっていきました。

小説を書いていると、「神のお導き」とか「偶然が重なって」なんてことがしばしばあると聞いていましたが、私は一度もありませんでした。作品は、すべてを自分がコントロールしているという自負があるからです。ただし今回だけは、50年も前に予知夢のようなものを見ていました。本当に不思議な現象です。

一つひとつの逸話や造船士官たちが辿る運命は、実際にあった様々な事件をアレンジし、リアリティを追求しています。彼らも若者ですから、仕事以外のことでも様々な悩みを抱えていたと思います。それらのエピソードを通じて、彼らに共感していただければ幸いです。

小説にとってリアリティは命綱に等しいものです。「こんなこともあったのだろうな」と読者に思ってもらわないことには、作品の魅力は薄れていき、花が枯れるように作品の記憶もなくなっていきます。だからこそ、実際にあった様々なエピソードが多数残る戦争物は書きやすいのです。

――新聞記者をめぐる陰謀事件がサイドストーリーの愁眉ですね。

これは実際にあった事件ではありませんが、呉海軍工廠はこうしたことを想定し、憲兵隊に警戒させていたのは事実です。例えば戦艦「陸奥」の爆沈事件は、「事故ではない」と認定されていますからね。

こうしたサイドストーリー群によって、物語に厚みが出てくるわけです。ただしサイドストーリーは思いつきや行き当たりばったりではだめで、構想段階から綿密に計画していかねばなりません。まさに小説も軍艦の建造のように、周到な設計図が必要なのです。