帰還者たちの記憶ミュージアムから、父の姿が浮かんだ

戦後80年を機に、私は父のシベリア抑留をさらに知ろうと、『帰還者たちの記憶ミュージアム(平和祈念展示資料館、総務省委託)』(東京都新宿区西新宿の新宿住友ビル33階)に行った。このミュージアムでは、「兵士」、「戦後強制抑留者」、「海外からの引揚者」の3つの労苦を、実物資料、グラフィック、映像、ジオラマなどで展示している。

「戦後強制抑留者」の展示では、父の話していたことの真実が確認でき、何故もっと早くここに来なかったのかと後悔した。最新の調査では、シベリアに抑留された日本人は約60万人いて、そのうち約6万人が亡くなったといわれているそうだ。

立ち尽くして見たのが、シベリアの収容所での「食事の分配」のシーンを、人形を使って再現したものだ。「収容所での1日分の食事の量は、黒パン350g、雑穀で作った薄いお粥(カーシャ)やスープが少量」と、展示の説明文にあり、飢餓状態の兵士たちが見つめる前で、黒パンを公平に切る過酷さが伝わってきた。父は配膳の係が嫌だったと話していた。飢餓が兵士たちの性格を変えてしまい、鍋からわずかなスープを分けていると、「俺のが少ない」、「あいつの方が多い」と罵声が飛び交ったそうだ。

父は、「飢えが人間を醜くする。俺は、虫でもなんでも食べられるものは食べたが、自分の大便だけは食べられなかった」と話していた。父は生き残れたのは、以前から少食だったからだと言っていた。飢えと厳寒で、毎朝、誰かしらが死んでいて、衣服や靴は貴重なので脱がせ、雪の中に埋めるのが心身ともに苦しかったそうだ。そして、こんな理不尽なことで死ねるか、とも思ったという。