ライター・しろぼしマーサさんは、企業向けの業界新聞社で記者として38年間勤務しながら家族の看護・介護を務めてきました。家族を見送った今、70代一人暮らしの日々を綴ります。今回は、しろぼしさんのご家族についてのお話です。「謎の男」だと思っていた父の過去を辿ってみると、戦争の経験が大きく影響していて——
父の人生最悪の日は、太平洋戦争開戦の日
父は何事にも深刻にならず、家族には適当な嘘をつき、愛人はもちろん、他人の世話ばかりやいていた。私には父の心も行動も謎だった。父の70歳の誕生日に、「これまでの人生で最悪の日はいつ?」と私は聞いた。
戦後にシベリアに抑留され、やっと日本に帰ってきたのに、愛する妻が父の前に正座をして、「死んだと思っていました。好きな人ができて結婚しました。失礼します」と、深々と頭を下げて帰ってしまった日が、最悪の日だと、私は思った。
しかし、父は「昭和16年12月8日の太平洋戦争開戦の日だ」と即答した。「開戦を知った時のあの嫌な気持ちは忘れない」と、顔をしかめた。
父はその前年の昭和15年に早稲田大学商学部を卒業したが、既に昭和14年9月に第二次世界大戦が始まっていた。父は軍隊に召集されない方法を考え、別の大学に進学。そして、歴史ある寺院の娘さんと結婚もした。父は、自分の母親に「まわりの若者が戦争に行くのに、おまえが行かないのは恥ずかしい」と言われ、ショックだったそうだ。
ついに出征することになり、町の人たちの前で和歌を詠むことになった。私はその和歌を聞いて、父には隠された才能があったのだと驚いた。しかし、私の母が「それ『万葉集』の防人の歌の盗作じゃない」とあきれて言ったので、がっかりした。
父は「バレたか。歌を考える心境じゃなかった。戦争で人は殺したくないし、自分も死にたくない。日本が勝てるとは思えないし、勝っても死んだ人は生き返らないよ」と言った。
父は中国に行き、軍隊で階級が上だと捕虜になった時に殺されると思い、上等兵でいた。