天中殺だから

数年前、まあまあ酷いことが我が身に起こった。呆気にとられていると、心配した知人が「天中殺だったからよ」と慰めてくれた。

ふと気になって悩める彼女の生年月日を調べてみると、見事に天中殺の真っ最中。気休めにそう伝えると、張りつめていた彼女の声がパッと明るくなった。おそらく、自分がコントロールできる範疇を優に超えていると思えたから。先輩方の機嫌を自らの努力で変えようとする執着を手放せたから。天が決めたことなら、仕方がない。

懸命な努力は実を結ぶ。一方で、何事も自身の努力や心がけ次第でコントロールできると過信すると、世の中すべてが途端に歯痒くなる。挙句、事態が好転しないのは努力不足だと我が身を責めるようになる。しかし、自分の力でどうにかできることなんて、本当はちょっとしかないのだ。

イギリス出身の作家兼ライフコーチ(ちょっと胡散臭い肩書ではあるが、日々を生きる知恵を授ける人くらいの感じ)であるジェイ・シェティがいいことを言っていた。曰く、やりたいことをやっても、人が望むことをやっても、なにもしなくても、どちらにしろ彼らはあなたを正しく理解しない。だったら、とにかくやればいい。

どう思うかなんて、相手の機嫌ひとつで簡単に変わってしまう。自分だって、調子がいい時は誰かの幸運を手放しで寿げるが、うまくいっていない時は嫌みのひとつでも言いたくなるではないか。

占いをよすがにはしないが、コントロールできない事態への執着を手放すきっかけとして利用するのは悪くない。健全な他責思考だ。

やがて、彼女は自力で落ち込みの沼から這い上がってきた。さすが、そうこなくっちゃ。誰かの気配を気にして、自分の可能性を狭める必要はどこにもない。

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きのうまでの「普通」を急にアップデートするのは難しいし、ポンコツなわれわれはどうしたって失敗もする。変わらぬ偏見にゲンナリすることも、無力感にさいなまれる夜もあるけれど、「まあ、いいか」と思える強さも身についた。明日の私に勇気をくれる、ごほうびエッセイ。