居間に飾られたギネス公式認定証

この日は、しばらく連絡が取れなかった友達が急に訪ねてきたという。

「どうやら老人ホームに入っていて、息子さんが送ってきてくれたの。ありあわせだけどお昼を用意して、あれこれ昔話に花が咲きました」

もてなし好き、おしゃべり好きは子どもの頃からだという堀野さん。1923(大正12)年に福島県で、5人きょうだいの長女として生まれる。

しっかり者で学校の成績もよく、「先生は高等女学校への進学を勧めてくれました。でも私は家庭に必要なことを勉強したいと思って、県立の家政女学校へ。料理はもちろん、和裁、洋裁、手芸をみっちり仕込まれたことが、私の人生で本当に役立ったんです」と話す。

卒業後は、凜々しい袴姿に憧れて電話局(現・NTT)に交換手として就職。そのかたわら、結核を患った母親の治療費の足しにと、和服を仕立てる内職を始める。

「夜勤明けに家へ帰り、朝ご飯を食べたら内職という日もあったけれど、まったく苦ではなかったですね。もともと体力はあるし、20歳かそこらで気力も十分。お給金を渡すと母の助けになりますし、きれいに仕上げると染物屋さんが喜んでくれるのが嬉しくて続けられました」

戦争中で物資が乏しいなか、小学校に上がる末の妹のために、自分のスカートをほどいてセーラー服を仕立てたことも。