「その後すぐに亡くなった母親の代わりに私が育てたようなものだから、大人になってから妹は『今度は私が世話する番だ』と、今でも嫁ぎ先の千葉から海産物などを送ってくれます」
22歳で終戦を迎えると、幼馴染のはとこと結婚。3人の子どもにも恵まれる。新婚時代、食料はまだ配給制で、売れるものはすべて食べ物に換えたのだという。公務員の夫は優しい人だったが、お坊ちゃん育ちで経済観念がゼロだった。
「毎日のように部下を引き連れてツケで飲み歩くから、月末にはすっからかん。給料日の翌朝、玄関に空っぽの給料袋がぽんと置いてあって。『いったいどうするの』と問い詰めたら、『困ったなあ、泥棒でもしてくるか』と言うんですから(苦笑)」
こうなったら、自分が働くしかない。堀野さんは幼子を抱え、箱作りの内職を始める。
「今日どうやってご飯を食べるかが何よりも大事ですから。手先は器用なのでけっこう稼げたんですよ。内職のお給金から、買い物のツケ代を引いても、お釣りが出たのが誇らしかったですね。とはいえ、この時期のことはあまり記憶にないんです」