作業机の上に時計らしきものが解体されて載せてある。
「飛行時計」
 と父は三ミリの髭を撫でさすった。
「戦闘機のコックピットについてたやつで、こいつを置き時計に仕立て直そうと思ってる」
「動いてるの?」
「いや、いまは動いてない」
「動くの?」
「それは分からんよ。直してみないことにはね」
 どうやら、一緒に暮らしていた女のひとの気配はない。玄関にはくたびれた父の靴しかなかった。
「幸せなの?」と訊いてみる。
「さぁ、どうだろう」と父は首をひねる。「考えたこともないな」
 苦笑も悲哀もなく、ただ机の上の動かない時計を見つめていた。

 

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 それにしても母のアパートに残されたガラクタが、
「片付かない」「片付けられない」「片付けたくない」
 三つの中からひとつ選びなさいと問われたら、いえ、答えはひとつではありません、と首を振る。
 三つとも正しいです。
 なぜ、答えはひとつきりであると思うのだろう。三つの可能性が浮上したのであれば、三つとも正解になる資格がある。
 むしろ、三通りも可能性があるのは喜ばしいことなのに、なぜ、無理矢理ひとつに絞ってしまうのか。答えをひとつに決めるのはつまらないことだ。可能性を打ち消しているのだから。
 でも、ときには、どの道へ進んで行くか選ばなくてはならないときもある。
 わたしは、いつまでたっても自分の思いを門司君に、
「伝えない」「伝えられない」「伝えたくない」
 どれだろう? やはり、どれも正しいような気がする。
 きっと、怖いのだ。いまいるところに留まっている方が気楽だ。
 遠方は遠くに望むからいい──と母に倣うふりをして宿題を先延ばしにしてきた。わたしも門司君も。
「ふたりオオカミ」というシェルターに、ぬくぬくと身をひそめている。

 

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