墨を含むと、約20キロにもなる大筆を操る(写真提供:金澤さん)

ダウン症ってどういう人のこと?

――書家として花開いた翔子さんが喫茶店で働くという《転身》は、80歳を過ぎた自身の身じまいと、娘の今後を熟慮した泰子さんの選択だった。

泰子 翔子さんは書道やめちゃうんですか、もったいない、って皆さん言ってくださいます。翔子は突然書家になって、以来、個展、それから何百何千の人の前で大きな筆で書く席上揮毫(きごう)をずっとやってきました。

日本中、それからイギリスやアメリカなど海外でも披露しましたし、国内では9日連続で出張イベントをやり遂げたこともあります。席上揮毫はこれまで、一度も欠席せずに1500回かな。

でも、壇上でのパフォーマンスは、文字を選ぶことから墨や筆の管理、書いた字を押さえる「墨取り」まで、私がつきっきりで動かなくては成立しません。80歳を過ぎてそれを続けることは難しいし、後継者もいない。

少なくとも、頼まれて書くことはもうやめました。いくつかの場所にはまだ行きますが、喫茶店と両方は難しいと思います。……あら、お帰り、翔子さん。

翔子 まかない、シチューだった。ナポリタンも好き。

泰子 ナポリタンもおいしいのよね。……以前はこの子が1000人以上の人の前で拍手喝采されて、傲慢になったら嫌だなと思ったりもしました。でも翔子にとっては、千何百人を相手にパフォーマンスするのも、ひとりのお客さまに「お待たせしました」ってランチを出すのも、まったく同じなんです。

一昨年、翔子のドキュメンタリー映画にご出演いただいた日本画家の千住博さんが、ここで作品をご覧になって「金澤さん、書くのを一回やめたらどう?」っておっしゃったんです。その言葉はわりと当たっていたように思います。

本人は書を、ものすごく喜んでというより、何よりも私や皆さんを喜ばせたいから書いていたんでしょうね。