「今年の春には、旭日中綬章をいただきましたが、自分のことではないみたい。実感がわかず、キョトンとしてしまいました」(撮影:木村直軌)
直木賞を受賞した『恋紅』をはじめとする、幻想的な作品でファンの熱烈な支持を集める小説家、皆川博子さん。95歳の今もなお執筆が楽しいと語る、そのエネルギーの源とは。(構成:野本由起 撮影:木村直軌)

満州事変の頃に生まれて

40代でデビューし、気づけば50年以上経ちました。エネルギッシュなタイプではなく、95歳になった今も小説を書いているのが自分でも不思議です。体が小さいし、あんまり動かないから、燃費がいいのかしら。

今年の春には、旭日中綬章をいただきましたが、自分のことではないみたい。実感がわかず、キョトンとしてしまいました。私が書いてきたのは、ミステリーや幻想小説、時代小説など。

登場人物を大変な目に遭わせることも多くて、主人公はたいてい死んでしまうの。お国に褒められるような作品でもありませんから、知人からも「不道徳なことばっかり書いているのに」とからかわれました。(笑)

私が生まれたのは1930年、満州事変が起きる前の年です。物心つく前から戦時下だったのですが、太平洋戦争が始まるまでは直接の被害がなかったように思います。

軍国主義がはびこるなかでも、私は本の世界にのめり込んでいました。ちょうど全集ものが流行っていて、小学校低学年の私は、応接間の椅子の陰に隠れて大人向けの「現代大衆文学全集」や「世界文学全集」なんかを読みふけっていたものです。

父は開業医で、渋谷に自宅を兼ねた医院があったので、待合室に置いてあった、いけない雑誌もずいぶん読んだかしら。親に叱られないよう、隠れて読むのが楽しかった。

空襲が激しくなった1945年には、宮城県の白石(しろいし)に疎開しました。今は東京も地方もそれほど変わりはないけれど、あの頃は東京者に対する警戒心があり、最初は仲間はずれにされたこともありました。