小説を書き始めたのは、30歳を過ぎてから。講談社で児童文学新人賞を募集していたのを見て、34歳の頃に「やさしい戦士」という隠れキリシタンのお話を書きました。ですが、佳作になったものの入選とはいかず、私には才能がないと思い、それから小説を書かなくなります。
その後しばらくして娘が高校2年生になり、交換留学でオーストラリアに行くことに。その1年間は、主婦や母親といったくびきから解放され、自由を謳歌しました。そうしたら、不思議なことに小説がやたらと書けてしまったのです。
その時書いたうちのひとつ、ある児童文学賞に送った「川人(かわと)」で賞をいただきましたが、指に水かきのある種族を題材にしたため、差別問題になるということで出版には至りませんでした。
下の弟が印刷会社の友人にその話をしたら、縁あってほかの出版社を紹介していただくことになったのです。「なにか作品があれば持ってきて」と言われ、過去に執筆した「やさしい戦士」をお見せしたところ、「これはうちで本にします」と。そのひと言が、すごくうれしかった。
修正すべき点も指摘してくださって、より深く書き込むために、舞台となるマカオまで取材にも行きました。そうやって書き直してできあがった小説『海と十字架』で、私は42歳にして作家デビューをすることになったのです。
その作品と並行して、本格ミステリーにも挑戦しました。当時は社会派ミステリーが隆盛で、私が大好きな本格ミステリーは、作り物だ、見世物小屋だ、と軽んじられていたんです。
そこで、自分なりに本格ミステリーだと思うものを書いて、江戸川乱歩賞に応募したところ、最終候補に残りました。その時、選考委員の南條範夫先生が「普通の小説が書けそうだから、『小説現代』の新人賞に応募させてみろ」と編集長におっしゃって。
ですが、当時の中間小説誌は、エロティシズム全盛。私には、川上宗薫さんや宇能鴻一郎さんのような官能的な小説は書けないと、編集者と打ち合わせをした後、喫茶店で泣きました。
それでも大人向けの小説を書くよう言われ、一度は落選しながらもなんとか「アルカディアの夏」という小説を提出。それが小説現代新人賞を受賞することになったのです。でも、当時の私が書きたかったのは少年が主人公の児童小説でしたから、大人向けの風俗小説を書くのはとても難しくて、もう、泣く泣く書いていました。