(c)武田一義/白泉社

武田 今のお話、すごく共感します。僕もペリリュー島とは縁のない、北海道生まれ。小学生の頃、教室で原爆の短編映画を観たり、お年寄りの戦争体験を聞かされたりした時には、平和な時代に生きていることが申し訳ないように思われて、ひどくバツが悪かった。戦争の話題に触れた時に感じた気まずさのようなものを解消したかったから、僕はこの漫画を描いたのかもしれません。

今日 武田さんも、その後ペリリュー島に取材に行かれたんですよね。

武田 単行本1巻が発売され、連載を続けられる目算が立ってから初めて、担当編集者と現地取材に行きました。実際に行ってみると、当時日本兵が潜伏していた壕は思っていたよりも狭くて。そこにずっと身を隠すという恐怖や不快感は、行かなければわからないことでしたね。

今日 私も、現地の人々が身を隠したガマ(自然洞窟)に入ったんです。何もないし真っ暗だし、女子中学生がここで暮らすなんてとても無理。私だったら、きっと名もなきひとりとして死ぬだろうなと思いました。それに、南の島には本州にいるとわからない、自然の圧倒的な存在感がありますよね。そこで人間が血を流し合うことの無力さも伝わってきました。

武田 ペリリュー島と沖縄は、よく似ていますよね。どちらもサンゴ礁が隆起してできた島ですし、植生も似ています。僕も現地で植物の圧を感じました。

今日 私が取材した時は、予算が足りなくて編集者の親戚の家に泊めていただいたんです。「これはもう連載を降りられないぞ」と思いましたが(笑)、おかげで今の沖縄県民の感覚を知ることができたんです。

現地の比較的若い世代の方々は、米軍基地問題に対しては関心が高いけれど、沖縄戦については「そういうことがあったとは聞くけれど、よくわからない」という温度感で。担当編集者が「次世代に沖縄戦を伝えなければ」と焦る気持ちもよくわかりました。