夏の母
子ども時代の夏の思い出には、常に母がいる。母のことを一番思い出す季節は夏かもしれない。夏休みに入ると、プールから帰ってきてお腹を空かせた私に、母はそうめんやトウモロコシを茹でて出してくれた。そうめんのツユは手作りで、どんこを一晩水で戻した出汁に醤油、酒、みりんを加えたもの。やわらかくなったどんこは薄切りにして、ツユにたっぷり入れる。薄切りしいたけは美味しくてたまらなかった。たまに出来合いのツユを出されることもあり、「しいたけがない!」と文句を言っていたっけ。
夏の母は、いつも汗だくだった。家を整えるため常に動いていたからだ。整えるといっても、「家庭は私の城」と誇示するようなエゴはまるでなく、いまにして思えば仕事のように懸命に処理をしていた。父と私が気持ちよく過ごせることを、第一に考えていた。
夏の母は朝早く起きてコーヒーを淹れ、家族のために朝ご飯を作り、食器を片付け、掃除や洗濯をしてから昼ご飯を私に食べさせ、スーパーへ買い物に行って夕飯を作る。食べて、また片付ける。ひたすらこれを繰り返す。
夏の母の首にはいつもタオルが巻かれていた。若い頃の母の写真を見ると、おしゃれで底抜けに美人。だのに、母になってからは自分のことは後回しだった。母の母による母のためだけの時間は、まだ誰も起きてこない朝のコーヒータイムだけだったのかも。
夏になると汗だくの母を思い出し、そして必ず後悔する。もっとしてあげられたはずなのに、と。生きていれば今年で93歳。いまの私なら、あの頃よりずっと親孝行ができたはずだ。
後悔が先に立たぬのなら、生きている父を大切にすればいい。けれど、そうは思えないのが不思議ではある。今日はパソコンの調子が悪いと電話がかかってきたが、のらりくらりと躱(かわ)してしまった。これも、いずれ後悔することになるのだろう。
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きのうまでの「普通」を急にアップデートするのは難しいし、ポンコツなわれわれはどうしたって失敗もする。変わらぬ偏見にゲンナリすることも、無力感にさいなまれる夜もあるけれど、「まあ、いいか」と思える強さも身についた。明日の私に勇気をくれる、ごほうびエッセイ。