イラスト:遠藤舞
ジェーン・スーさんが『婦人公論』に連載中のエッセイを配信。今回は「夏の母」。身の危険をも感じる暑さの中、子ども時代の夏の思い出には常に母がいるというスーさん。タオルを首にかけ、家族が気持ちよく過ごせるように朝から晩まで汗だくで動いていた母の姿を思い出し――。

口うるさい娘役として

暑い。暑すぎる。この原稿を書いているのは、まだ7月頭だというのに。

このイカれた暑さが始まったのは6月中旬。去年も相当暑かったが、これほど立ち上がりは早くなかった。梅雨なんて、あっという間にどこかへ行ってしまったし。毎朝、玄関から出た途端モワッと熱気に身を包まれる。太陽の下に身を晒せば、命の危険を感じる。もはや「暑さ」ではない。これは「熱さ」だ。

ラジオパーソナリティでもある私は、「塩分・水分・クーラー気分」を合言葉に、毎日リスナーに向けて健康管理を徹底するよう口を酸っぱくして話している。全国の高齢者にとっての口うるさい娘役を自ら買って出ているのだ。だって、誰にも室内熱中症で倒れたりしてほしくないんだもの。

しかし、今年に限って言えば9月末まで自分の体がもつか自信がない。加齢のせいではない。たとえ子どもだったとしても、バテる可能性が十二分にある暑さだ。がんばれ、令和の子どもたち。学校の屋外プールが生ぬるいのは気持ちが悪いだろうけれど、なんとか夏休みまで踏ん張って。

遠い昔の話にはなるが、私が子どもだった頃は、暑くなるのは夏休みに入ってからだった。家の近所に区民プールがあって、毎日冷たい水に体を浸しひとりで泳いでいた。さみしいと感じたことはなかった。ひとりっ子とは、そういうものだ。