デビュー60周年を迎えたシンガーソングライターの加藤登紀子さん(撮影:米田育広)
今年、デビュー60周年を迎えたシンガーソングライターの加藤登紀子さん。80歳を超えてもなお、精力的に音楽活動を行っています。今回、自身作詞作曲の「渡り鳥の子守唄」を、24歳の若きシンガーソングライターNozomi Lyn(ノゾミ・リン)さんに提供・プロデュース。9月17日、全世界に配信リリースされます。また、8月23日には加藤さんの出生地である中国・ハルビンでコンサートを開催。母親がハルビン出身というNozomi Lynさんも出演します。共通点も多く、世代を超え意気投合する2人に、コンサートへの意気込みや楽曲についてインタビュー。この記事では、加藤さんの故郷・ハルビンに寄せる思いや、今までの歌手人生で印象に残っていることなどを伺いました。(構成:宇都古舞 撮影:米田育広)

音楽家としてハルビン出身が誇り

――終戦直前、ソ連軍の侵攻が始まった旧満州・ハルビン。まだ1歳8ヵ月だった加藤さんは母におんぶされ、日本軍のトラックに乗り込み避難。1946年に日本へ引き揚げるまで、母・兄・姉とともにハルビンの難民収容所で生活していました(自伝『トコちゃん物語いつも空があった 加藤登紀子自伝【誕生・青春編】』より)。ハルビンで壮絶な経験をした加藤さん。戦後80年が経った今、ハルビンにどんな思いを抱いているのでしょうか。

ハルビンという街は、ユダヤ人やロシア人などいろんな人が亡命してきて、結果的にたくさんの音楽家が集まった街。戦争で生き抜けなかった人たちもいる中、音楽がいろんな人の願いを脈々と伝えてきました。生き抜いた音楽は世界中に広がって、今へつないできたのだと感じます。ハルビンはその歴史の中で大きな役割を果たしてきた。だからこそ、この街の素晴らしさを伝えたいんです。

私は、ハルビン交響楽団にも大きなリスペクトを感じています。(1908年に設立した東清鉄道交響楽団を起源に持つ)楽団が今も存続しているということは、この街に優秀なミュージシャンが集まってくる特別な歴史があったんです。私は音楽家として、革命と戦争という過去を乗り越えて来たこの街を、大事にしたいんですね。