自分の歌を歌っていれば通じる

1988年にアメリカ・ニューヨークのカーネギーホールでコンサートをやったとき。取材の人に「何語で歌いますか?」って質問されたんです。「もちろん日本語です」と答えると、「日本語のポップスって聴いたこと無い」って言われたの。「じゃあ、あなたはフランス人にもスペイン人にも、“何語で歌うのか”って聞くの?」って言い返したら「ごめんなさい」って謝られた。

あの当時、現地の人は日本から来る芸術って歌舞伎か能しか知らないの。日本人の歌手は民謡でもやるんだろうって思っていたんでしょうね。そんな感覚のずれがあったんです。“いや、冗談じゃない”って思いましたよ。

それでコンサートでは、自分が歌いたい歌をやろうと思って。1曲目に「リリー・マルレーン」(第二次世界大戦中に流行したドイツの民謡)を日本語でやって、韓国の歌やひとり寝の子守唄とか、愛の讃歌とか、とても多国籍なメニューで歌いました。それがすごく当たったんです。アメリカ人も多国籍だから、その国際性がはまったのかな。私の世界をすごい受け入れてくれた。コンサートが終わって、お客さんが「リリー・マルレーンを日本語で聞くなんてびっくりした。震えた」って言って抱きしめてくれたんです。アメリカと戦争した日本から来た歌手が、日本語で戦時中の歌を歌うということに衝撃を受けたのでしょうね。

いろんな事情と歴史の中を生き抜いた歌がある。そこに歌う理由があって、私がそれを“自分の歌”として歌っていれば、日本人だろうと日本語だろうと通じるんだと思いました。

いろんな事情と歴史の中を生き抜いた歌、そこに歌う理由があって…