「この子はいい才能持っていますから」

母親の志村和子さん(2015年に逝去)は『婦人公論』のインタビューにこう答えている。

「新宿・コマ劇場に行って、いかりやさんにお会いしたんです。いかりやさんが『お母さん、心配しないでください。この子はいい才能持っていますから』。その言葉でいくらか安心しました」
(「〈東村山の親孝行音頭〉我こそは、志村けんの一番のファン」2003年2月7日号)

『婦人公論』2003年2月7日号

1974年(昭和49年)、24歳の時に、ドリフを脱退した荒井注さんに代わって正式メンバーに。コント番組「8時だョ!全員集合」の「東村山音頭」で一躍茶の間の人気者になった。そして、36歳の時には『志村けんのバカ殿様』がスタート。人気コメディアンとしての地位を確固たるものにした。その後も「だいじょぶだぁ」「変なおじさん」「あいーん」などのギャクが一世を風靡した。

志村さんは自身の「お笑い」についてこう分析していた。

「僕は酔っ払いのマネとか、あまり練習しなくても自然にできる。階段でコケたりする芝居っていうのは、見てると簡単そうなんだけど、やるとできないことが多いんですよ。初めて仕事したのも酔っ払いのコントでした。僕は小学生の時からマネしてたけど、オヤジもじいさんもあまり飲まないし、特にモデルがいたわけじゃない。たぶん、テレビで酔っ払いを見ていたんでしょう。カラダで表現して笑わせるって、けっこう体力使います」

「さんまさんみたいに喋りで笑わせる人が、うらやましいですよ。セットもいらないし、時間もかからない。さんまさんにしろ、タモリさんにしろ、お笑いやっている人たちは、それぞれのスタイルを持っているわけだけど、けっきょく僕は、カラダで表現するコントが好きなんです」(1999年)