最愛の妻・庸子さんがアルツハイマー型認知症となり、長患いの末に亡くなったのは2020年のこと。
庸子さんが発症したときに、近所の人から「介護が大変でしょう。短歌をやると気持ちが楽になりますよ」と勧められ、70代になってから短歌を詠み始めた。最初は妻に関する作品ばかりを作っていたという。これは、そのころの一句だ。
徘徊の妻に人々優しくて住み慣れし町終の地とせん
海老澤さん夫妻は地域での人望が厚かった。たとえば自治体のごみ集積所を決めるとき、自分の家の前を利用してかまわないと率先して手を挙げる。顔が広く、困っている人の相談には気軽に乗った。
そんな海老澤さんの窮地を、周りの人たちも放っておけなかったのだろう。今は役職を退いているが、老人会などにも活発に参加し、共産党員としての活動も継続。そうした地元の繋がりは海老澤さん自身の支えにもなっている。
3人の子どもたちも2ヵ月に1回くらいのペースで孫を連れて顔を見せては、食事をともにして帰っていく。昨年生まれたひ孫に会うのも楽しみだ。しかし、子どもたちから出た同居の話はすべて断ってきた。
「ここで自分の生活を長いことかけて作ってきて、知り合いもたくさんいるから、この家から動く気はない。何も言うな、好きにさせろと。でも長女なんかは、僕の体調が悪いとすぐに飛んできてガミガミ言うの。薬を飲み忘れているとか、いつも粗探しをしていますよ(笑)。まア、頼りになるけどね」
キッチンの冷蔵庫には、孫の写真の横に、長女の手書きメモが貼られている。
「水分補給、忘れずに! ポカリスエットの飲みすぎ× ふつうの水を飲みましょう!」
父親の体を心配する声が、耳元に聞こえてくるようだった。