社会に出てからの、「なぜ」の答えは?
僕は、意味があるものに対しては積極的に動きたいと思っていて、「サークルの全員が楽しんでくれる」という意味があるのであれば、自分が赤字を被ってでも、イベントを企画していました。
のちに紹介するドイツの哲学者であるニーチェも、こう言っています。
なぜ生きるかを知る者は、どんな生き方にも耐えられる。
しかし、もはや社会に出て、「なぜ」の答えは1つしかありません。
「お金を稼ぐため」です。
好きでもない相手とも飲み明かして健康を犠牲にしたり、苦手な上司から嫌味を言われても頭を下げなければならないこともある。
これがとても人間的な行為だとは思えませんでした。
主人公のラスティニャックも、父親の愛情を利用して金をせびる娘たちに対し、その行為がいかに冷酷なものかを身震いして見ていました。
必然的に、僕はこう気づきはじめます。
「この世界は、自分用にはできていない」
「世界は、僕のためにできている」と信じていた僕にとっては、衝撃的なことであり、まさに世界が不条理なものに感じました。
不条理とは「自分が信じている理想の世界と、現実の世界との乖離」のことです。
「世界は、僕のためにできている」という認識を持っていた僕は、「この世界は、自分用にはできていない」という認識を得たことで、この2つの認識の間にある大きな乖離に堪えることができませんでした。
※本稿は『不条理な世の中を、僕はこうして生きてきた。』(大和出版)の一部を再編集したものです。
『不条理な世の中を、僕はこうして生きてきた。』(著:宮下友彰/大和出版)
「なぜ僕はこんなことをしているのだろう? こんな毎日が死ぬまで続くのだろうか?」
希望の会社に入社したものの、自分を犠牲にして働くこと、何よりお金が優先されること、頑張っても報われないこと……、すべて不条理に感じた。
そんな僕を成長させてくれたのは「偉人たちの言葉」だった――!
本書では、哲学・文学・思想をどのように人生に役立ててきたかを、たくさんの事例とともに紹介しています。