すべての経験が蓄積される心の倉庫
阿頼耶識とは、「すべての経験が蓄積される心の倉庫」のようなものです。そもそもアラヤとは昔のインドの言葉で「蔵」という意味になります。ヒマラヤ山脈は、もともとヒム(雪)とアラヤ(蔵)をくっつけてヒムアラヤ→ヒマラヤと名付けられたものです。年中、雪を蓄える蔵のような山だからでしょう。このようにアラヤとは、大事なものを蓄える蔵という意味ですから蔵識(くらしき・ぞうしき)と言われることもあります。
「心の倉庫」の心とは西洋的にいえば意識レベルではなく無意識レベル、潜在意識の心のことです。西洋においてフロイトやユングによる無意識の発見は、20世紀の三大発見の一つとまでいわれる大発見です。しかし、すでに2500年以上も前に仏教で教えられており、特にユングは仏典で学んでいますので、正確には無意識の発見ではなく、再発見といえましょう。
話を戻します。阿頼耶識という蔵のような心に、何を蓄えるかというと、私たちのあらゆる行為、つまりは、身体でやる行為(身業<しんごう>)、口で言う行為(口業<くごう>)、心で思う行為(意業<いごう>)です。
「業(ごう)」とは行為のこと。私たちのすべての行いは、業力(ごうりき)という力、エネルギーとなって阿頼耶識におさめられるのです。
この蓄積が、その人独自の価値観や世界観を形づくります。