江戸は百万都市に発展した

西尾藩・松江藩・津山藩以外の藩でも、総支出に占める江戸経費の割合として次のような数字がある。

加賀藩   延享4年  58.2% 金10万両(96億円)
寛政3年  52.8% 金8万1267両(78億163万円)

土佐藩   寛政年間  55.2% 金2万4250両(23億2800万円)
天保年間  62.3% 金7万4417両(71億4403万円)

弘前藩   文化13年 63.5% 金3万両(28億8000万円)

庄内藩   享保8年  79.5% 金2万5600両(24億5760万円)

岸和田藩  安永5年  70.5% 金6600両(6億3360万円)

備中松山藩 嘉永3年  77.8% 金1万4000両(13億4400万円)

新庄藩   安政2年  77.0% 金1万2045両(11億5632万円)

長岡藩   慶応元年  79.3% 金2万7400両(26億3040万円)

(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)

現代の経営コンサルタントの先駆けと言われる江戸時代後期の経済学者海保青陵(かいほせいりょう)は、加賀藩への献策書の中で「諸大名共に国用の半ば江戸入用なるものなりと、江戸にても云ふことなり。御屋敷の御普請より参勤・御在府中の費用、献上・御配り・下され物、御出入扶持、聖堂の費用、彼是にては十万両(96億円)にては足るまじ」と述べ、諸藩の収入の半分以上が江戸で費やされていると指摘し、その要因となる事柄を列挙した。

加賀藩の江戸入用は金10万両あっても足りないだろうが、加賀藩は幕府から御三家同様の扱いをされているため手伝普請を言いつけられることがなく、他藩に比べれば江戸入用は少ない方だとも述べている。実際に中小規模の藩では江戸入用が総支出の7割以上を占める場合もあった。

全国の藩で生産された富の過半が江戸で消費されるという状況は、まさしく参勤交代によってもたらされた結果である。

江戸は京・大坂とともに三都と総称されたが、朝廷が存在し、宗教都市・工業都市として栄えた京、物流拠点として全国から集積された年貢米が換金され、「天下の台所」と称された大坂と比べても、政治の中心都市である江戸は武士だけでなく商工業者も集まる百万都市に発展し、抜きんでた存在として揺るぎない地位を確立した。