ヴァイオリニストから銀幕への転身

私は10歳で子役としてデビューして以降、映像の世界で生きてきましたが、それまでは《天才少女ヴァイオリニスト》なんて呼ばれていました。父は日本人で、アメリカやチェコスロバキアに留学経験のある、著名なヴァイオリニスト。新交響楽団(現・NHK交響楽団)で演奏し、一時は黒柳徹子さんのお父様ともご一緒したそうです。

オーストリア人の母は、あるとき父に「晴子にヴァイオリンを教えなさいよ」と無理やり迫ったみたい(笑)。そんなわけで3、4歳から教えを受けました。

父はとにかく厳しくて、1回目は父が弾き、2回目は父と私が一緒に演奏して、3回目に私がひとりでできないとゴツン。特訓の成果もあり、8歳からステージに立つようになりました。

「天才」なんて言われたのはその頃。大人も出場するコンクールで優勝したんです。写真が新聞に載って、それを見た方から芸能界にスカウトされました。そして児童文学『ノンちゃん雲に乗る』が映画化される際、主役に抜擢されたんです。

それまで私は、外ではほとんど話すことができませんでした。うちではドイツ語と日本語が半々の生活。練習にあけくれて学校にもあまり通えなかったので、日本語での会話が苦手だったのです。それに当時はまだ、いわゆるハーフに対して偏見もありましたし。

でも撮影所では、食堂のおばさん、小道具や衣装などのスタッフのみなさんがかわいがってくれます。なんだか疑似ファミリーみたいな感じで居心地がよくて、ここにいると最高に幸せだと感じました。ヴァイオリンは嫌いではありませんでしたが、ひとりで練習する時間が長いものですから。

そこで「パパ、ごめんね。私、映画をやるわ」と父に伝えました。私がヴァイオリニストになると当然のように思っていた父は、さぞかし落胆したでしょうね。その後も趣味程度に練習していましたが、そのうち仕事が忙しくなり、気づくとヴァイオリンに触れることはなくなりました。