「東京のマンション住まいではなかなか音が出せないけれど、あそこなら近くに家もないし、気兼ねなくいつでも練習ができる。そう思ったんです」(撮影:宮崎貢司)
映画『ノンちゃん雲に乗る』でデビューして以来、俳優や歌手として活動する鰐淵晴子さんは、80歳にして暮らし方を大きく変化させました。東京を離れて始めた新生活では自然に囲まれ、感覚が研ぎ澄まされているそうです。(構成:篠藤ゆり 撮影:宮崎貢司)

娘の言葉にハッとさせられて

今年の3月から、山梨県でひとり暮らしをしています。それまでは東京で娘家族と隣同士で過ごしていたのに、80歳を目前にしていきなりひとり暮らしを始めたものですから、みなさんびっくりされたみたい。「どうして?」とよく聞かれます。

きっかけは、長年飼っていたトイプードルのロロちゃんが亡くなったことでした。落ち込んでしまい、口をついて出るのは「寂しい。この先、どうしたらいいんだろう」なんてネガティブな言葉ばかり。すると娘が、「なに言ってるの。ママには音楽があるじゃない」と。

私は写真家の夫と離婚し、仕事ばかりしていたので、娘には子ども時代に寂しい思いをさせました。彼女は、日本で音楽大学を出た後、声楽家になり、留学先のドイツを拠点に仕事をしていたときも、いろいろ苦労があったと思います。

その娘が、「ママにピアノと歌を習わせてもらったことが、どれほど人生の助けになったか。今、私が前向きでいられるのは音楽があったおかげ。だからママもまたヴァイオリンをやってみたら?」と言うのです。それを聞いて、ハッとしました。そうだ、私には音楽があったんだ、と。

そんなとき、娘のコンサートを聴きに行った先で、父のヴァイオリンを修理してくださっていた中澤宗幸先生にお会いしました。「私、55年ぶりにヴァイオリンを弾こうと思っているの」と胸の内をお話しすると、後日、演奏に向くヴァイオリンを貸してくださったのです。父とのご縁が運命のように繋がって、もう一度集中して音楽と向き合おうと決意しました。

そうと決まれば、練習するしかありません。だったら、めったに行かない山梨の別荘で暮らそう。東京のマンション住まいではなかなか音が出せないけれど、あそこなら近くに家もないし、気兼ねなくいつでも練習ができる。そう思ったんです。