曲げた腕の向こうにヒグマの顔が……
相手の攻撃が止み、立ち去った気配がある。「これはやはり人だな」と思い、体は動かないのに「この野郎!」とでも言って反撃してやろうかと思った瞬間、「何か」が戻ってきた。次の瞬間、腰や背中に痛みが走る。無意識のうちにうつぶせから仰向けになり、思わず顔を両腕で守る姿勢をとると、曲げた腕の向こうにヒグマの顔があった。そのとき初めて、安藤さんは、ヒグマに襲われていることを知ったのだった。
開いた口からは唾液がダラダラと垂れ、ヒグマはかなり興奮している。すでにその腕は噛まれ激痛が走っていた。両腕、内もも、すね部分などを次々と噛まれ血だらけながらも、不思議と意識ははっきりとしていた。事故は午前7時18分頃に発生。襲われた時間はおそらく30秒程度だ。
「口に出していたかどうかは分かりませんが、とりあえず『助けて!』『痛い!』しか言っていないと思います」と、安藤さんは当時を振り返る。
しばらくは痛み止めを飲んでも効果なく、睡眠がきちんととれない日々は数年経った今も続く。PTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状もあり、「クマにまた突然、襲われるのではないか」という恐怖心が度々、湧いてきてしまうそうだ。
市街地に出てきたクマ、いわゆる「アーバンベア」は、極度のストレスにさらされ、始終緊張状態にあるといわれる。建物の陰など死角も多い。北海道内のヒグマ個体数はこの30年で倍増とのデータもあり、アーバンベアの問題は、当面は続くと言わざるを得ないだろう。
※本稿は、『ドキュメント クマから逃げのびた人々』(三才ブックス)の一部を再編集したものです。
『ドキュメント クマから逃げのびた人々』(著:風来堂/三才ブックス)
人間がまともに戦えばほぼ勝ち目のない動物、クマ。
襲われた当事者の生の声を聞く、衝撃のノンフィクション