「洗練されていない。お前はかたちだけだ」

“厨房のダ・ヴィンチ”の異名をもつムッシュ・シャペルは、寡黙で厨房ではほとんど口をきかない。だが、その眼差しと哲学で場を完全に支配していた。見つめられれば手が震える。すべてを見透かされているような気がしてしまうのだ。

あの日、そんなシャペルが、僕の盛りつけた魚料理の皿に目を落とし、低い声でつぶやいた。

『三國、燃え尽きるまで厨房に立つ』(著:三國清三/扶桑社)

「セ・パ・ラフィネ」

直訳すれば「洗練されていない」。

僕にはそれがこう聞こえた。「お前はかたちだけだ」。

ムッシュ・シャペルは僕が誰よりも美しく仕上げた料理を、たったひと言で切って捨てた。なぜ? どこが? 続く言葉に耳を澄ませたが、真意を説明してくれることはなかった。それどころか、契約期間が終了するまでのそれから約1年の間、まったく口をきいてくれなかったのである。

数々の三つ星レストランで腕を磨き上げてきたこれまでの自分。そのすべてが否定されたと感じた。でもなぜ? それからは悶々と考え続ける地獄の日々だ。

「セ・パ・ラフィネ」という言葉が頭の中をぐるぐる巡る。あの日僕の作った料理は、アラン・シャペルの料理としては文句なかったはずだ。なぜなら、シャペルはあの皿をそのまま客席に運ばせた。そして、その後も彼は僕を使い続けた。ポジションを外されることもなかった。

それがどうして、「セ・パ・ラフィネ」なのか。「洗練されていない」のか。「かたちだけ」なのか。

考えても考えても答えは出ない。そんなときヒントをくれたのは、同僚たちだった。