マスコミの力を借りて集客に成功

あのときすでに人脈があったことには、ものすごく助けられたと思う。新聞記者、雑誌の編集者、テレビ局の情報番組担当者、広告・PR関係者……今まで少しでもかかわりのあった人に片っ端から連絡を入れ、自分がやろうとしていることを伝え、応援してくれと頼んだのだ。

「こんな時期に業務拡大ですか、いい話だなあ」

「暗い話題が多い中、元気が出ますね」

そんなふうに、暗い時代を元気に明るくする話題として受け止めてくれた人が多く、いくつものメディアが「こんな時代に勝負に出たシェフがいる」「不況のさなかに店を3倍に拡大」といった切り口で新生「オテル・ドゥ・ミクニ」と僕の挑戦を取り上げてくれたのだ。

効果は絶大で、メディアに掲載されるたびに応援にかけつけてくれたお客さんで店は活気づいた。まもなく席はコンスタントに埋まるようになっていく。不景気は続いていたが経営状態は急速に改善、借金も6年ですべて返すことができた。

そして、その後途切れることなくお客様をお迎えし、2022年暮れの閉店までの間に、50万人を超えるお客様に来ていただくことになったのである。

「オテル・ドゥ・ミクニ」バンケットルーム(写真:『三國、燃え尽きるまで厨房に立つ』より)

※本稿は、『三國、燃え尽きるまで厨房に立つ』(扶桑社)の一部を再編集したものです。

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三國、燃え尽きるまで厨房に立つ』(著:三國清三/扶桑社)

三國は料理人として、経営者として、「ミクニ」をどう育て、グループを大きくしてきたのか。

激動の昭和、平成、令和を超えた、正面突破の生きざまに迫る渾身の自伝。