思うようにならなくても、指は一番の友だち
この4月に、104歳の誕生日を迎えました。当日は各地から教え子の皆さんがお祝いに駆けつけてくれ、海外からもきれいなお花を贈っていただいて。本当に嬉しいことです。
ピアノの専門誌『月刊ショパン』で連載しているエッセイは、9月号で130回目。大腿骨骨折で入院した間の数回を除けば、休まず10年以上も続いているのだから、自分でも驚いてしまいます。
小学校の卒業文集に「大きくなったらピアニストになって世界中を回りたい」と書いたその言葉通り、23歳でソリストとしてデビューし、ドイツ留学を経てヨーロッパを中心に25年。59歳で帰国してから100歳を過ぎるまで、国内外で演奏活動を続けてきました。
連載では、そうしたよしなしごとを、頭の中にあるずだ袋――と言っておわかりになるかしら(笑)? 大きな袋から引っ張り出すようにして、綴っています。
今年の春あたりまでは原稿用紙に直筆で書いていたのですが、近頃は筋肉が落ちて指先を細かくうまく動かせず、「一」と書いてもにょろにょろっとマス目からはみ出してしまって。今は口述筆記をお願いしています。パソコンも動画やブログを拝見するのに使っているのですが、指がすべって変なボタンを押して、ぴゅーっと違う画面に飛んでしまったり。(笑)
そんな調子ですから、思うようにピアノに触れることができない日もあります。そういう時、私は自分の指を眺めながらしみじみと「あなたたち、今までよくやってくれたわよね」と語りかけるんです。指は私の友だち、一番の親友というのかしら。
「あの時、あんな曲を一緒に演奏したわね」「そうでした。良い音が出て嬉しかったですよね」と心の中で会話します。穏やかに話ができることもあれば、どこか痛みがあったり具合が悪いと、「あなたの言うことなんて聞きません!」と意地悪を言われることも。
「お願い、言う通りにしてよ。あなただってそんな音、出そうと思ってないでしょ」「いいえ、それはあなたのタッチが悪いんです」なんて言い合いになったりね。でもやっぱり、私のことを一番にわかってくれ、一緒に生きてきた指は最高の友だちなのです。