人間の深さが心に響く演奏につながる
バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト――素晴らしい音楽家たちの生み出した作品を、私たちは楽譜として受け取っています。たとえばドミソという音型があったとして、作曲家はどういう意味で、どんな感情を込めてそれを使ったのか。演奏家は自分という個性をもとに、作曲家と「対話」しながら深く探っていくのです。
メロディの変化の中には緊張もあれば弛緩もある。ちょうど人間の生活と同じですね。悲しみもあれば喜びもある。だから、人の心に響く演奏をするには、人間というものの深さが必要なのです。それがないと、「テクニックは素敵だったけど、聴いていたら寝ちゃった」なんてことになるでしょう。
音を出すにしても、ただ指をピアノの鍵盤に乗せて押すだけでは音楽になりません。ピアノのタッチというのは本当に繊細で、たとえば「怒ったような音」を出したい時に、力まかせに叩いても駄目。鍵盤の奥深くまで押さえることで、強く重い感情を伝えることができる。それを理解するまでにも、長い時間がかかります。
だからピアノに向かわない日も、楽譜は絶えず開いているんです。一つの曲でも、若い頃に読んでいた時と、今では受ける印象が大きく変わったりします。そのようにして、「ベートーヴェンはこう思ったのだろうな」「モーツァルトが伝えたかったのはこれかしら」と考えながら、作曲家の思いに適した表現を探っていく。
ピアノを弾いている間にも、「この感情じゃなかった!」と気がついて、また違う音が自分の中に生まれます。ですからいい加減な気持ちで弾くと、せっかくそれまでお話ししていたベートーヴェンやモーツァルトが、庭から外へ逃げちゃうの。(笑)
ドイツで師事したヘルムート・ロロフ先生に、ある時、「私がバッハの音楽はどういうものかをちゃんと考えて弾こうと思ったら、200年は生きなければ駄目ですね」と申し上げたら、「それは僕にとっても同じだよ」とお答えくださったことがありました。音楽の道には、終わりがありませんね。
104歳になって、どうですか? とよく聞かれますが、私としては、一日一日、音楽の真髄を極めようと、同じことをしてきただけなんです。年を重ねるにつれて、ピアノを弾くためのエネルギーは落ちていくけれど、それでも私とピアノは切っても切っても切れない深い関係。弾けば弾くほど、新しいことがわかるのよ。
今の自分にできることを、思うままに精一杯しているから、生きていて幸せだなと思います。そうしてまた私の頭の中のずだ袋が、いろいろな記憶でふくらんでいくのです。