今でも肩書には「バスガイド」
しかし38歳のときに、新型インフルエンザの流行によりバスガイドの仕事が無くなってしまって、将来が不安になり、それならば以前からやりたかったこと――文章で身を立てようと、そこからさまざまな新人賞に応募した。それまで官能小説なんて書いたことはなかったのに「第一回団鬼六賞」に応募したのは、人のどうしようもなさや弱さを赦し救う作品を描く団鬼六という作家が好きだったからだ。
応募するにあたって、私は団鬼六作品のフォーマットを自分なりに分析して書こうとしたが、それだけではコピーになってしまう。私にしかないオリジナリティはなんだろうと考えたときに浮かんだのが、「京都」だった。
京都観光文化検定2級を所持するバスガイドである自分だからこその「京都」を書こうとした。その目論見は成功し、39歳で団鬼六賞大賞を受賞し作家となり、その後も「京都」舞台の作品を書き続ける幸運に恵まれた。
実は、バスガイドの仕事も、小説家デビューしてから、何度かこっそり本名で行っている。
辞めるつもりではあったが、紹介所の社長が「やめんでええやん」というので、そのままになっている。だから今でも肩書に「バスガイド」とつけている。
京都在住、バスガイドをしながら、京都を描く女の作家は、インパクトが強いと我ながら思う。