作家の花房観音さん。プロのバスガイドとしてのポートレイト(写真提供:花房さん 以下すべて)
大学時代に京都に住んだのをきっかけに、今も京都に住み、京都を舞台にした小説の執筆を続ける作家・花房観音さん。長く住んでも今なお、京都は「非日常の場所」だという。表と裏も、光と影も、いっぱいある京都の街について綴ってもらった。

いつも軸にあるのは「京都」

15年前に、京都が舞台の官能小説を書いてデビューした。それから幸いにも、ホラーや時代小説、ミステリやノンフィクションなど、様々なジャンルの本を出せてはいるが、軸にあるのは「京都」だ。

デビュー作の流れで、2作目、3作目も「京都で」という依頼があり、「京都在住の京都を描く作家」というイメージが定着したからだと思う。それはとても、ありがたいことだった。

ただ、私自身は京都出身ではない。兵庫県北部に生まれ育ち、大学入学で京都に来た。もともと京都に来たかったわけではなく、大阪の第一志望の大学に落ちたから仕方なくだった。進学し同級生の誘いにのって学生時代から修学旅行生を案内するアルバイトをはじめると、歴史好きだったのもあり、京都を知れば知るほど居心地がよくなった。

30代のとき、事情があって数年間、故郷に帰っていた。その際に、地元で派遣のバスガイドの仕事を見つけて、そういえば学生時代にやっていたなと春と秋の土日だけ、たまにガイドの仕事を復活させた。

それから数年後に京都に再び戻ってきた際に、今も世話になっている大阪のバスガイド紹介所で事務員兼バスガイドとして働くようになった。

あまり知られていないが、バスガイドにはバス会社の正社員や専属アルバイトのガイドと、結婚や出産等、何らかの理由で一度バス会社を退職した人が、再び働こうと登録する「紹介所」のガイドとがあり、私が所属したのは後者だったので、さまざまなバス会社のバスに乗った。

学生時代は修学旅行生を京都奈良に連れていくのがメインだったけど、30代半ばで復活してからは老若男女、全国からの様々な人を案内するようになって、関西のみならず北陸や名古屋、広島辺りまで行くようになり、覚えることも増えた。ブランクがあったので苦労はしたけれど、先輩たちに助けられてやっていけるようになっていた。

大学受験よりも、たくさん勉強して暗記もしたし、酔客の相手もすることがある接客業ゆえに嫌なことを言われたり、自分がふがいなくて泣いたこともたくさんある。失敗して運転手やお客さんに怒られたことは、数えきれないほどだ。朝早い仕事も多く、観光シーズン中は常に睡眠不足で、食べるものも偏り体力的に、かなりしんどい。一日中、パンプスを履いて立ちっぱなしなのもきつい。

けれど直接「楽しい旅になりました。ありがとう」と言ってもらえるのは、嬉しくてやりがいがあった。

清水寺近くの産寧坂