(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)
バスは、地域の人々の移動手段として重要な役割を果たす存在です。しかし、一般社団法人交通環境整備ネットワーク相談役の佐藤信之さんは、「近年、多くのバス会社で運行本数削減や路線の廃止が相次いでいる」と語ります。そこで今回は、佐藤さんの著書『日本のバス問題-高度成長期の隆盛から経営破綻、再生の時代へ』から抜粋してご紹介します。

狭隘な道路にバスが戻った

東京都武蔵野市で、1995年(平成7年)11月26日、コミュニティバス「ムーバス」の運行が開始した。JR中央線吉祥寺駅を起終点に西荻窪方面を巡回する「吉祥寺東循環」で、全線の所要時間は25分、15分間隔での運行である。導入車体については、もともと日野自動車が狭い道路でも走れる路線バスとして小型のリアエンジン車を販売していたが、ちょうどその後継車両(リエッサ)の開発が進められていた。

路線バスは、一般的に女性車掌が乗車券を販売し、扉の開閉をするために乗務していたが、バスの車掌は勤務が不規則であり、体力的にきつい仕事であったため、採用が難しくなっていった。そこで昭和30年代後半には各地でワンマンバスの運行が広がっていった。

ワンマン化に当たっては、運輸省が指定基準を設けていたが、とくに強調していたのが道路の幅員の制約であった。

大都市地域では、まず主要道路を走る路線でワンマン化が進められ、幅の狭い裏道や屈曲する道路では車掌を乗せたボンネットバスの運行が続いていた。路線バスが走る鉄道駅と住宅地を結ぶ主要な道路は優先的に改良工事が実施されたが、それ以外の裏道の整備は遅れ、とくに東京西部の鉄道駅周辺部の状況は深刻であった。

今でも、吉祥寺駅など駅入り口につながる道路が狭隘で、大型バスを走らせるために誘導員が配置されているところもある。