交通改善策としての小型バスの運行

もともと中央線は、線路が地平で、しかも2分間隔で上下の電車が通過するために「開かずの踏切」状態で、社会問題となっていた。踏切を通過するバス路線は分断されて駅の北口、南口に乗り入れる形になった。駅の近隣地域では路線バスのルートが幹線道路に集約化され、利用者は、徒歩や自転車の利用が難しい遠距離客が中心となり、バスのない地域が増えていった。

そうして自転車利用が増えていくことになるが、そこで新たに放置自転車が問題となった。自治体は駅周辺に駐輪場を設置したが、駐輪場は駅から距離があるなど不便なところも多く、駅利用者は駅前の道路に自転車を放置してしまうのであった。

『日本のバス問題-高度成長期の隆盛から経営破綻、再生の時代へ』(著:佐藤信之/中央公論新社)

このような大都市周辺部での一般的な社会状況の中で、武蔵野市の土屋正忠市長は、駅まで歩くには距離があるが、バスが利用できない地区の交通改善策として、小型バスの運行を思いついた。しかしこのような自治体が主導する短距離利用を対象としたバス輸送のノウハウがないため、岡並木や山本雄二郎といった名の知れた有識者を集めて勉強会を立ち上げた。

その結果、1995年の吉祥寺での最初の「ムーバス」の運行へとつながったのである。

ムーバス(写真:『日本のバス問題-高度成長期の隆盛から経営破綻、再生の時代へ』より)