オモテとウラの乖離
浮世絵師の葛飾北斎の家がゴミ屋敷だったことは有名だ。多作で、常に創作で頭がいっぱいだった北斎を思えば何の違和感もない。
生涯何度となく引っ越しを繰り返したのは、溜まったゴミから逃れるためだったとも言われているが、体裁を気にせず等身大で自らの人生を生き抜いた北斎らしい逸話である。
かたや現代の日本における事情はなかなか複雑だ。何十万、何百万という価格のブランド品を頻繁に購入する女性が、狭くて古いワンルームマンションで洋服とバッグに押し潰されそうになりながら暮らしているとか、事業で財を成したお金持ちの夫婦が暮らすプール付きの豪邸の中は、モノとゴミで溢れて足の踏み場もない、という話を耳にすることがある。
そもそも日本人には人を頻繁に家に招くという習慣がない。なのでこうしたオモテ(自分)とウラ(住居)の乖離も簡単に発生するのだろう。
私の家はといえば、北斎と違い、片付いていないと仕事に集中できないので部屋の掃除は毎日の習慣になっているが、机の引き出しの中は宇宙的混沌を極めている。
そこだけは片付いていると落ち着かない。そんな家の有り様と自分の性格は程よくシンクロしているように思う。
『歩きながら考える』(著:ヤマザキマリ/中公新書ラクレ)
パンデミック下、日本に長期滞在することになった「旅する漫画家」ヤマザキマリ。思いがけなく移動の自由を奪われた日々の中で思索を重ね、様々な気づきや発見があった。「日本らしさ」とは何か? 倫理の異なる集団同士の争いを回避するためには? そして私たちは、この先行き不透明な世界をどう生きていけば良いのか? 自分の頭で考えるための知恵とユーモアがつまった1冊。たちどまったままではいられない。新たな歩みを始めよう!






