父は、私の母方の祖父が主宰していた聖書研究会に通っているうちに、母と知り合って結婚したそうです。祖父も祖母も私が生まれる前に亡くなっているので、二人がどんな活動をしていたのか詳しいことは知らなかったのですが、じつはちょっと不思議なことがあって……。

40代で、イタリアのアッシジにあるサン・フランチェスコ聖堂を訪れたときのこと。聖フランチェスコの祈祷文に、「主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください」という言葉があると知りました。

フランチェスコは、それまでの宗教は死んだら天国に行けると教えているけれど、この世を天国にしなくてはいけない、と説いていたそうです。なんとすばらしい教えだろう、日本にもこの教えを説いている教会はあるかなと思ってネットで調べていたら、その教えを説いている人の中に吉川一水(よしかわかずみ)という名前を見つけて──。「えっ、私のおじいちゃん、同じことを考えていたんだ」とびっくりしました。

祖父は、思想家の内村鑑三の「救いは信仰のみによって与えられる」という教えと、戦争や武力による威嚇を認めない「非戦」を唱える無教会派の考えに共感し、それを広めていたそうです。

そのため戦争中は憲兵の監視を受けるようになりましたが、灯火管制が敷かれても従わなかったと母から聞いています。あの時代、そうした生き方を貫くのは、本当に大変だったことでしょう。

私がフランチェスコの教えを素敵な考え方だと思ったのは、祖父が考えていたことが、私の遺伝子の中にも生きているからじゃないか。目に見えないものが脈々と受け継がれているんだ、と感じました。戦後80年の年にこうして祖父のことを思ってお話しするのも、何か意味のあることなのかなと思います。