対プロイセンの敗北をきっかけに、台頭をはじめたフランス人によるオペラ
「カルメン」は、フランス・オペラの歴史の中である意味、画期的なオペラである。フランスが近代を迎えて以降、フランス人音楽家による初めてに近いフランス・オペラの傑作だったからだ。
フランス・オペラの歴史は、イタリア・オペラの歴史に次ぎ、ドイツ・オペラよりも古い歴史を持つ。19世紀には、パリはヨーロッパのオペラ興行の中心にもなっていた。けれども、1850年代を迎えるまで、フランス人音楽家による人気オペラはそうは登場していなかった。ベルリオーズがいくつかのオペラを書いていたものの、彼の代表作「幻想交響曲」の名声には遠く及ばなかった。ようやくグノーが1850年代後半以降、「ファウスト」や「ロミオとジュリエット」を登場させたくらいだ。
じつのところ、パリのオペラを盛り上げていたのは、外国人音楽家たちであった。イタリアのロッシーニにはじまり、ドイツのマイアベーア、オッフェンバック、イタリアのヴェルディらがパリに進出、あるいは招聘(しょうへい)され、パリの人気者となっていた。フランス音楽家の影は、薄かった。
そこにようやく、フランス人音楽家のビゼーの「カルメン」が登場したのである。「カルメン」の評判は当初は芳しくなかったとはいえ、やがて人気オペラとなる。
この「カルメン」が突破口となって、サン・サーンスが「サムソンとデリラ」を、マスネが「マノン」や「ウェルテル」を登場させている。こののちドビュッシー、ラヴェルというフランス印象主義の音楽家たちもオペラを発表、近代のフランス・オペラが形成されていく。
近代のフランス・オペラは、「カルメン」のようなオペラを目指したわけではない。マスネにしろサン・サーンスにしろ独特の感性でオペラを創作していくのだが、後世の視点からすれば「カルメン」の登場は一つの転機だったのだ。