仏教と稚児

えらいお坊さんたちは戒律の関係で女性に近づいてはいけないのですが、そのかわりに寺院に預けられた少年、いわゆる“稚児“を寵愛しました。

たとえば鎌倉時代中期、東大寺の宗性という高僧(のち東大寺のナンバーワン)は36才の時、現在の亀王丸で「愛童」は95人目である、と書いています。

美しいお稚児さんは仏の化身であるという考察も成立し、男色は寺院で広く受容されたのです。

中世から近世初頭にかけては、『秋の夜の長物語』に代表されるような「稚児文学」が花開きました。