――『卑弥呼』の後は、お子さんのために、一時女優をやめようと……。
そうなの。娘が生まれて、退院して10日目くらいに台本が届いたら、ぴたっと母乳が止まっちゃって。同時に霊感もなくなった。
霊媒師さんに卑弥呼の霊を降ろしてもらおうとしたけれど、私にはついぞ降りてくれなかった。でも、一緒に行った事務所の人に降りたので、それを観察できてかえってよかったんですけどね。
撮影から帰って娘のところに行くと、卑弥呼の妖気を感じるらしくて、私のことを見ると泣くので悲しかったです。ある時、子供を置いて仕事に行くのがつらくなって「私、女優をやめようかしら」と篠田に話したら、「君は女優をしてる時が一番輝いてる」と言われて、それで続ける決心がついた。
女優をやめなかったおかげで、その後、『はなれ瞽女(ごぜ)おりん』(77年)という素晴らしい作品に出会えました。あの時は三味線のお稽古に半年くらい通ったんですが、娘が4歳くらいでしたか。小さい三味線を買ってあげて、一緒にお稽古場でそばに座ってましたね。
この作品で篠田も私もいっぱい賞をいただき、仕事を続けていく決意みたいなものが生まれた感じがします。