自分と他者の感情の区別がつかない「無境界」

社会への過剰適応が起きている時、境界が存在しない場合もあります。自分と他者の間に境界のない「無境界」と呼ばれる状態です。

こうなると、自分の感情と他者の感情の区別がつかなくなります。(1) 自分が感じていることは相手も感じていると思い込んだり、逆に、(2)相手が感じていることをまるで自分の感情として感じたりします。

自分と部下は異なる考えや感情を持っていることに気づかず、何でも同じでなければ気が済まない人がいますが、これは(1)のパターンです。

例えば、自分が仕事に注ぐのと同じ情熱・熱量・がんばりを部下にも求めたり、「あなたもこう思うでしょう?」「こうすべきだよね」と考えや気持ちを強要したりします。相手が少しでも自分と違うと、「なんでそうしないの?」「なんでわからないの?」とガマンなりません。しかし、感情を押し付けられる側はいい迷惑です。

逆に、他者の感情を自分の中に取り込んでしまうのが、(2)のパターンです。

例えば、職場で誰かが叱責されていると、まるで自分が叱責されているように感じて苦しくなります。これは、叱責されている人の感情が自分の中に入り込んだ状態です。本来は自分のものではない感情を取り込んでそれと一体化し、一喜一憂していたら、とても疲れます。

無境界が起こりやすいのは、特に親子の関係においてです。親が子どもを自分の所有物・延長物のように思っていると、無境界に陥りやすくなります。

例えば、就活の時期になっても動こうとしない子どもに対して、「早く就活しなさい! みんなやってるでしょう?」と口うるさく言うのも、自分の不安や焦りを子どもに押し付けようとしているだけかもしれません。

反対に、子どもが親の心配性を自分の中に取り込むこともあります。親がいつも「不安だ、不安だ」と言っていると、子どもは自分の不安ではないのに、わけもなく不安に感じてしまうことがよく起こります。

こうしたことは、親子なら当然なのでしょうか。
そうではないと思います。子どもであっても親とは違う人間です。それに気づかず、子どもの感情にまで踏み込んでいると、子どもは自分の成長に必要な境界を健全に育むことができなくなります。

子どもの感情にまで踏み込んでいませんか(写真:stock.adobe.com)