とはいえ、日本にはわりと頻繁に帰り、父に甘えていました。「お金、足りない!」というセリフはしょっちゅう(笑)。「これ、ほしい」と言うと、すぐ買ってくれて。娘には甘いものですね。
私はボストン郊外の高校を卒業後、ニューヨークの大学に進学し、グラフィックデザイナーの職につきました。その後、カリブの海に潜って衝撃を受けたのをきっかけに大学に入り直し、海洋環境学を勉強。
アメリカの男性と結婚したのは、最初の大学に在学中のことです。電話で「結婚する」と父に伝えると、「あぁ、そう。いいじゃない」とだけ。(笑)
当時、両親は別居中で、母から、父にはつきあっている女性がいると聞いていて。まぁ、離婚も仕方ないなと思っていました。その後、父が『100万回生きたねこ』の著者の佐野洋子さんと再々婚すると知った時も、とくに驚きませんでした。
父は私の母と出会う前に一度結婚していましたし、アメリカで生活をしていると、離婚も再婚もごく普通のことですから。
ただ、子どもの頃の私は、俊太郎さんは神様みたいな人だと思っていたんです。百科事典のようになんでも知っているし、やさしくて、素敵で、すべて受け入れてくれる。ずいぶん大人になるまでそう思っていました。
でも、父の浮気と別居、離婚、再婚という一連の出来事を受け、娘として「なんだ、父もやっぱり普通の男なんだ。つまんないなぁ」という感じはありましたよ、当時は。(笑)
その後、佐野洋子さんとは、何回かお会いしました。とても感じのいい方で、私は好きでしたが、佐野さんとは6年で離婚。父は、3度の結婚と3度の別れを経験したことになります。